ウルトラの語源は東京オリンピックから

 

 

 

 

ウルトラの語源は、意外なところからスタートしていました。

 

 「ウルトラC」という言葉は、1964年(昭和39年)10月東京オリンビック(10/10〜10/24)で元NHKアナウンサーの鈴木文弥さんが、日本選手が至難の技を次々に決めた際に表現したした言葉として当時の流行語となりました。

 

 現在の体操の難易度のランクは「A」「B」「C」「D」「E」「スーパーE」の6ランクですが、当時の体操競技の最高難易度は「C」でした。そこで、「C」ランクを超える技としての表現が「ウルトラC」というわけです。

予断ですが、モントリオールオリンピックで森末慎二選手が鉄棒でウルトラCを連発して10点満点。みごと金メダルをゲットしました。しかしその10点満点、現在の評価法では8.5点にしかならないそうです。

 

 「ウルトラC」は、競技の採点方法の変更だけではなく、ウルトラ技の追求でケガが多くなり、奇抜さなども評価されなくなったため廃れていきました。現在の若い世代に「ウルトラC」といっても『「オロナミンC」の親戚ですか?』と答えが返ってくると思われる単語となってしまいました。

 

 しかし、「ウルトラC」は意外なところで生き残っていました。

当時、「ゴジラ」などの特撮映画を手がけていた「円谷英二」さん(1970年死去)が、鈴木アナウンサーへ「ウルトラ」という言葉が大変気に入ったので、テレビ番組のタイトルに使わせてほしいという電話を東京オリンピックの真っ最中にすると、鈴木アナウンサーは二つ返事で快諾したそうです。数日後、巻紙に墨でしたためた礼状が鈴木アナウンサーの自宅へ届けられたというエピソードも残されています。

 

 その円谷英二さんのテレビ番組はTBS系列で「ウルトラQ」として、東京オリンピックの二年後1966年(昭和41年)の1月2日から7月3日まで全28話が放送されました。

製作をはじめた当初の番組名は「アンバラス」といい、「自然界と人間の営みがバランスを失ったらどうなるかをテーマとする一話完結の怪奇SFドラマになる予定でした。

それが、円谷英二さんが「ウルトラ」と出会ったことで、番組名は「ウルトラQ」へと変更になりました。

「ウルトラQ」の「Q」は「Question」(謎)の頭文字で「超難解な謎」という意味が込められていました。

 

 初回の視聴率は32.3%。放送の終わる7月まで30%前後の高視聴率を誇りました。この「ウルトラ」人気にあやかって「ウルトラ」を商品名に取り込む企業も続出しました。

特許庁によると「ウルトラ」を使った商標登録は、1935年に出されたものが一番古く、東京オリンピックまでには7件しかありませんでしたが、現在では885件の商標登録が出されています。

 

 「ウルトラQ」は、その後「ウルトラマン」「ウルトラセブン」などの「ウルトラ」シリーズを生むきっかけとなり、現在は「ウルトラマン」マックスへと引き継がれています。

 

  (参考文献) 読売新聞2005年8月2日・3日の「新日本語の現場」スポーツ60、61から引用

 

 

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